準新作映画評2 ハドソン川の奇跡

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良くできた作品です。20点満点で13点。

監督がクリントイーストウッド、主役がトムハンクスであれば当然でしょう。

原題はSULLY。これが邦題ではハドソン川の奇跡となる。

これはちょっとやり過ぎかな〜。「その日、英雄は容疑者になった」という副題と合わせて、過剰な売り文句というか、必要以上に興味をかき立てようとする、国内配給会社の事情が透けて見える。

なぜか。この作品があくまで記録映画で、普通の映画として観てしまうと、事実であるという重みとひきかえに、どうしてもそういう意味でのインパクトに欠けてしまうからだ。

原題のSULLYというのは、トムハンクス演じる主人公の名前。離陸直後にエンジントラブルに見舞われ、低空であったため元の空港に引き返すこともできず、とっさの判断でハドソン川に不時着して、乗客乗員155名の命を救った操縦士である。

サリーは謙虚で、仕事に誇りを持っている。クリントイーストウッドが好む人物像である。乗客に命の恩人と感謝され、メディアからはヒーローと讃えられ、一躍時の人となったが、結果的に全員が無事だった、そのこと自体は奇跡的だが、そこに至る自分の判断や操縦技術は、これまで培ってきたパイロットとしての経験を活かしたまでで、職務を全うしただけだという自負があるから、周囲の加熱ぶりに違和感を覚える。彼としては、いつも通り帰宅して、家族と過ごしたいのだが、群がる記者たちのせいでそれもかなわない。

国家運輸安全委員会の調査が入る。彼らは、保険の問題から、飛行機の墜落(不時着だと、サリーはこれを何度も訂正する)を人為的なミスのせいにしたがる。元の空港に引き返せたはずなのに、それをせず、かえって乗客乗員の命を危険にさらしたと言うのだ。

ネタバレになるのでこれ以上は書かないが、その辺の話の持って行き方は、映画としても成立させようとするクリント流のテクニックで、それはもちろん奏功しているのだが、彼にとってのこの作品のテーマは、『ハドソン川の奇跡』的な大仰なものでは決してなく、操縦士の名前をタイトルに持ってきたことからも分かる通り、極限状態にあっても冷静さを失わず、己の職務や役割を忠実に果たそうとする、そういう人間の日々の積み重ねの方なのだ。

ラストシーンで、一貫してサリーを支持してきたアーロンエッカート演じる副操縦士のジョークが秀逸で、皆が気詰まりを感じている重苦しい空気を、鮮やかに一掃してみせる。これも事実なのかどうかは寡聞にして知らないが、こういう機知というのは是非とも見習いたいものである。 

準新作映画評 1 ロストバケーション

記念すべき第1回目の作品はこれ。

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点数は20点中11点!

サメ映画であるからにはジョーズにオマージュを捧げるのは当然として、同じスピルバーグ監督のデビュー作『激突』を思わせるラストの展開には笑ってしまった。

音とカメラワークがなかなか良くて、全然大した話ではない話を、最後まで飽きずに観させる技量は大したものである。

サーフィンのシーンが非常に気持ちよく、やったことがない人でもその気にさせる。カメラの小型化、防水化により、丘から撮るしかなかった時代より臨場感が格段に増していて、水中カメラの躍動感のある映像が、そのままサメのシャープな動きをイメージさせて巧みに恐怖をあおっている。

強引な設定や展開はこの際ご愛嬌で、この手の作品は、あーだこーだとツッコミを入れながら観るのが正解である。

1番のツッコミどころはブイとクジラ。「なんでそこにブイ?」「いやいやクジラ食えよ」きっとほとんどの人がそうツッコミたくなるだろう。

この監督のデビュー作は『蝋人形の館』という低予算のホラーで、当時観た時、なかなか将来性のありそうな監督だな〜と思った記憶があるが、あれから10年経っていることを考えると、そろそろもうちょっと骨のある作品に正面から向き合っても良いんじゃないの?と隣で酒を飲んでいたらつい言ってしまうだろうと思う。

日南海岸でカフェやってます vol.2

オープンと同時に計ったようなタイミングで店の前の国道220号線で工事が始まった。

これもんの、

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これもんの、

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こんな感じで、

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当店へのお客様のアクセスが著しく制限されている。

国土交通省さん試練をどうもありがとう。

店の窓から眺める光景は、さながら重機の博覧会場。店内は振動と喧噪に包まれ、chill out cafeと銘打っているが、実際は寝た子も飛び起きる戦場の様である。

とはいえ、もともと無理のないペースでスタートしようと決めていたので、金土日のみの予定が、工事が休みの土曜の午後と日曜だけの営業となっても、さまで凹んではいない。もちろん‥‥、いや、不平は言うまい。言い訳もすまい。

なぜなら、そういう状況にも関わらず、それでも来て下さるありがたいお客様がいらっしゃるからだ。本当にどれだけ感謝しても感謝しきれない。GW中には遠方からのお客様にも来ていただいたが、こちらがバタバタしていてゆっくり話をすることができなかったのが悔やまれる。

そんなようなわけで、パソコンを触る時間がちょこちょこあるので、この隙に、オープン前後のもろもろのことを書いてみようと思う。

自分の頭を整理する助けにもなるし、また、今後自分の店を持とうと考えている方に、最初から思い通りにはならないぞという教訓(というか自戒)の意味も込めて、何らかのヒントにでもなれば幸いである。

実質第1回目なので、これも何かの縁だろうし、工事のことを書いてみる。

 

店があるのは、日南海岸で有名な国道220線の、鵜戸神宮にほど近い小さな集落である。

急カーブの前後左右に20戸ほどの民家が寄り添っている。

このカーブが、内にくらべて外側が1mほど高くなっていて、いわゆるサーキットコースのバンクのような構造で、良く言えば非常に走り易いのだが、それだけスピードが出やすく、ここを通るドライバーは、さながらインディ500のレーサー気分で、いつもよりうまく行くコーナーリングに酔いしれながら、結構なスピードで駆け抜けて行くのが常となっている。
法定制限速度は50㎞だが、順守しているドライバーは少ない。

それでも、なにしろ走りやすいので、私が知る限り、このコーナー付近で重大な事故というのは起きていない。それはそれで結構なことなのだが、問題は、地元住民が道路の向こう側へ渡る場合である。ことにカーブの内から外へ、バンクの傾斜を登りながら渡る時が厄介である。

駐車場へ行く。畑やハウスを見に行く。ゴミ捨て、回覧板、バス停‥‥、ほぼすべての区民が、日常的にこの道路の横断の必要に迫られる。

しかし、信号機はもちろん横断歩道もないため、思い思いのポイントから、それぞれの自己責任において、意を決して渡るしかない。

急カーブで見通しが悪く、左右を確認して渡り出しても、渡り出してから視界に入ってくる車に、そのまま行けば余裕でハネられる。

有名な観光地で、しかも日南宮崎を結ぶ幹線道路であるから、交通量は多い。

渡り出して、左から車が来て、やり過ごそうと立ち止まるが、2台3台と連なり、そのうち右から来た車にけたたましくクラクションを鳴らされ、あわてて戻るか、立往生してしまうことも少なくない。

私でさえそうなのだから、子供や高齢者はさらに危険で、子供の横断には常に付き添いが必要となるし、達観した高齢者の中には、ほぼノールックで渡る人などもいて、さすがにその場合ドライバーの方が減速して衝突を回避するのだが、そうなると今度は車同士の追突事故の危険も増すわけで、いずれにしても危ないことこの上ないのである。

山道などで「鹿に注意‼︎」の標識を見かけるが、「地元民に注意‼︎」の標識も用意した方が良さそうな状態であった。

さすがにこれはイカンだろうと、信号機を設置してくれと各方面に働きかけたところ、信号機は警察、横断歩道は国交省(だったかな?)と管轄が違い、いきなり信号機はむずかしいということで、まずは横断歩道を設置して様子を見ようということになった。

区民の間では「誰かがハネられるまで付けんちゃが‥‥」とまことしやかにささやかれていたが、そんなことは絶対にあってはならないのである。

念入りな測量の結果、光栄なことに当店の目の前が、左右の見通しがもっとも効く場所と認められ(店の経営もそうあってほしいものだが)、ここに横断歩道を設置するための工事が始まったという次第である。

その前に歩道の拡張と強化を、となり、それには地盤が弱すぎる、となって、掘削し、基礎を作り、土砂を入れ、舗装し、街灯を立て‥‥、数日の工事のはずが、結局ひと月半かかって、ようやく6月15日にすべての工程が完了したのである。

おかげで、非常に渡りやすくなった。私に限って言えば、余裕をもって渡れる。ありがたいことである。ただし、高齢者や子供は今後も注意が必要であろうし、横断歩道の注意喚起をドライバーにしていく必要もあるだろう。

重機が消え、作業員やガードマンが去り、村にはいつもの光景が戻った。

 

さあこれから、と思ったのもつかの間、今度はその先の道路ががけ崩れのため寸断され、chill out cafeテンベアは、さらなる試練に見舞われることになるのだが、それについてはまた別の機会に‥‥。

RadioHeadレディオヘッド アルバム考その8 キングオブリムスKing of Limbs

今回はこれ。

発表は2011年。前作から2年。

一曲目の入りを聴いたところで、おっ、今回はダブステップか、とまず思った。

UKガラージ、ジャングル、ドラムンベース‥‥、ロンドンを中心に発生増殖したクラブサウンドの系譜で、ビートを解体、再構築することで、より複雑に、より自由に踊れる音楽を追求する流派の1つである。

例えばこんな感じで‥‥


PUMPED UP KICKS|DUBSTEP

私も毎朝公民館の前でこんな感じで踊っている(ナワケナイ)

今作の発表と同じ年、クラブ大好きトムヨークは、ダブステップの帝王、ブリアルとコラボしている。

ちなみにこの曲がそう。

Burial & Four Tet Feat. Thom Yorke - Mirror HQ

ダブステップの特徴は地鳴りのようなベース音にある。

崇高なレベルで生音と電子音を融合させた、キッドAでの成功体験があったから、いやが上にも期待は高まった。前作で生音の方にぐっと重心をかけた後だったけに、そっち側への揺り戻しは、個人的には大歓迎だった。

が、うーん、‥‥なんだコレは。

ヘイルトゥーザシーフの、魂を入れ忘れたあの感じとも違う。素材を選び、練りに練って作り込んだのに、どういうわけかさっぱりケミストリーを生じなかった、そんな感じか。

どうしてだろうと考えてみる。

まず、そもそも論だが、フロア系のダンスミュージックとレディオヘッドは合わない。文科系と体育会系ぐらい違う。

キッドAでは、テクノはテクノでも、チルアウトやアンビエントの影響が濃かった。初期ほどではないにしても、レディオヘッドの音楽の魅力は、己の内奥をこれでもかと掘り下げていく、その執拗なスタイルにある。情景描写に抜群の適性を持つアンビエントの音作りが、あのアルバムで彼らが企図した世界観と、恐ろしいほどにマッチングしたというのもあったろう。

 コリンのベースはダブステップの特徴をよくとらえている。しかし、ドラムはやっぱり厳しいね。端正で繊細、抜群の安定感でバンドを下支えしてきたフィルは、ダブステップで求められる主張するビートとは相性がよろしくない。その辺は、バンドとしての意思統一に不全があったのだろう。この手の音楽を聴きなれない人にとっては、チャカついたドラムが、曲の邪魔をしているようにしか思えなかったのではないか。そもそも、機械を使ってあえて変則的にしたビートを、生身の人間が再現することに意味があるとも思えない。スクエアプッシャーあたりの超高速ビートを、手足をタコのように動かして再現するドラマーがいたとしたら、叩いている姿をぜひとも見てみたいとは思うが‥‥。

ちぐはぐな感じは、アルバムの後半になっても変わらない。心に残る、すなわちここで紹介したくなるような曲が、結局ひとつもなかった。

でもまあこれは、チャレンジした結果だから、仕方ないと言えよう。成熟の極致とも言えるインレインボウズの後で、新たな方向性を模索しようという彼らの心意気だけは、文句なしに買えるのだから。

まあ次だね、次に期待しよう。 

RadioHeadレディオヘッド アルバム考その7 インレインボウズInRainbows

今回はコレ。

いや~良いアルバムだ。

良い意味で力の抜けた、大人の余裕を感じさせる作品。全編通して集中が保たれ、作り込みのさじ加減も絶妙。OKコンピュータやキッドAが少々尖り過ぎという方には、私は迷わずこの作品をおすすめしている。

全体の音数がぐっと減り、それだけメンバー個々の成熟した表現が直に伝わる。テクノっぽいアプローチを封印して、今回はそれがうまくハマっている。

ダンサブル(踊れなくもないという程度だが)な曲もあって、あのレディオヘッドがな〜と感慨深い。

まずは2曲目のボディスナッチャー。


Radiohead - Bodysnatchers - Live From The Basement [HD]

ちょうど半分を過ぎた頃、演奏前のオーケストラのチューニングを思わせる不揃いな音が、指揮者が振るタクトのようなジョニーのギターに合わせて、すっと揃う瞬間の気持ち良さ。

バラバラだったワルたちが、ある出来事をきっかけに1つにまとまり、団結して花園をめざす、みたいな胸のすく展開。

このVを観ても、トムは途中までずらしずらし唄っているし(なんとなくボブディランっぽい)、曲の意図をバンドが完全に理解して音を出していて、計算されつくしたミステリーを紐解くような知的な愉しみがある。さすが読書家の多いバンドらしい。

タイトルでピンと来た方もいるかもしれないが、実はこれ、同名の映画にインスピレーションを得た作品で(簡単に言うと地球外生命に体を乗っ取られる話)、ズレた感じ、音の揃わない感じは、自分の体が自分のものではなくなっていく違和感や恐怖心を表している。

自分がわからない、どうにも動けない‥‥、悩み、惑う間は、音も不揃いで、どこか聞き苦しいが、全部俺のせいだ、俺は偽物だ、と、己の罪や弱さをはっきり自覚した瞬間から、たとえようのない美しさを身にまとうという、それは、デビュー以来一貫しているトムの人間理解で、創作のテーマとも言えるだろう。

あやのあるストーリーを、バンドが一体となって表現している。簡単なことではないが、先に書いた、肩の力の抜けた大人の余裕と、一人一音と言うか、一音必殺と言うか、音数に頼らない、一音に込めた思いの正確さで伝え切っているのが、この作品を珠玉のレベルまで高めている要因だろう。

そういう意味で、五曲目のオールアイニード。


Radiohead - All I Need (Scotch Mist Version)

これぞまさに一人一音って感じ。途中ジョニーがシンセ弾きながら鉄琴叩いてるけど‥‥。

バンドをやっている人には、ぜひこういうごまかしのきかない曲で、メンバー同士の音や呼吸の合わせ方を知ってほしい。

トムの書く詩はシンプルで言葉数も多くないので(それだけ広がりもあるのだが)、英語が得意じゃない、洋楽は苦手という人でも、すぐに入り込むことができると思う。

この曲も途中トムがピアノを弾きだす前辺りからぐあーっと盛り上がってきて、「すべてよし」「全部だめ」のリフレインの果てにぶつっと曲が途切れて後に余韻が残る。

情景描写のようなエドのギターと曲をリードするコリンのベースが印象的だ。

そしてレディオヘッドの曲を聴くといつも思う事だが、フィルセルウェイのドラムの安定感というか落ち着きが、バンドの繊細な表現の中でいかに重要なパートかということを改めて思う。ストーンズのチャーリーワッツとかレッチリのチャドスミスとか、出しゃばらず一見地味だけど、実は非常に個性的で芯の強いドラマーがいるバンドは、長続きするし、バンドの進化や成長を引き出しやすい気がする。

最後はこの曲。

 
Radiohead - Reckoner - Live From The Basement [HD]

私的には、レディオヘッドの全曲中でもトップ10か、ひょっとすると五指に入るぐらい好きな曲だ。

歌詞は非常にわかりにくい(舌の根も乾いてないけど)。おごそかで、宗教的でもあるが、空しさとか無常観が色濃く、西洋よりは東洋っぽい。

サビの部分に言う。

Because we separate

Like ripples on a blank shore

In rainbows

トムも認めているし、歌詞がアルバムタイトルに採用されていることからも、この曲がアルバムの核になっているのは間違いない。

この曲も、サビに入る直前の静けさの作り方が秀逸で、アルバム全体のテーマをファルセットで唄うトムの声が、耳や脳より深いところへじわっと染み込んでくる。

収録された全十曲、こうして、すべてがただでは終わらない。うねり、起伏し、うつろい、変化し、曲が変わっても、連なりは消えない。十曲聴き終えて、リピートされて一曲目が始まる。普通はそこで気持が途切れるが、このアルバムはそのまままた聴き入ってしまう。まるで輪廻転生のように。

ひとりのファンとしては、こういう作品をまた頼むよと思ってしまうのだが、それに簡単に応えるようでは、レディオヘッドがレディオヘッドでなくなってしまう。

成功をむさぼらず、居心地の良い場所にとどまらず、せっかく登った高みから、その先に奈落が待ち受けていようとも、彼らは歩みを止めないのだ。

実際彼らは次作で地獄を‥‥いや、それはまた別の機会に。

 

日南海岸でカフェやってます vol.1

さる5月4日、日南海岸の国道220号線沿いにカフェと雑貨の店をオープンしました。

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こんな感じです。

詳細は、また時間のある時に。

RadioHeadレディオヘッド アルバム考その6 ヘイルトゥーザシーフ

今回はこれ。

関連画像

タイトルのhail to the thief =泥棒万歳は、「hail to the chief」(大統領万歳。アメリカ大統領のテーマ曲)のもじりで、当時の大統領選で票の集計に不正があったとして訴訟を起こされたジョージwブッシュに対するあてつけ。

ちなみにブッシュ前大統領は下の写真の右側。

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左だったかな。

で、うーん、これは‥‥、

なんというなんということもないアルバムだろう!

全曲通して聴いても、後に何も残らない。

OKコンピュータの胸を掻き毟りたくなるような感覚も、キッドAの高みにのぼって行くような清々しさも、何もない。ただ曲が始まり、いつの間にかそれが終わっている。

何でだろうと不思議に思った。曲が良くないとか、演奏の上手い下手とか、このアルバムが気の抜けた炭酸水のように弾けてこないのは、そうしたこととは別の理由による。

最高の料理人が極上の素材を使ってテキトーに作った料理。そんな感じか。

要は熱意の問題だろう。厳しい言い方をすれば、心がない。魂が入ってない。

だが、それも無理からぬことではある。世界でもっとも影響力のあるバンドの1つになり、億万長者にもなって、その状態で5~6年も過ごせば、嫌でも人は変わる。

彼らが成功を夢見るワーキングクラスの若者だった当時の曲作りの手法をそのままなぞってみても、同じものができるはずもないのである。

かく言う私は、大金とも成功とも縁のない人生を胸を張って歩んできたが、幸い縁には恵まれて、大金や成功と縁の深い友人知人は少なからずいる。

彼らを間近で見てきて悟ったことは、十分な財力を有すると、私ごとき凡夫が抱える悩みの大半は、跡形もなく霧消してしまうだろうということだ。

たとえば、私の母は認知症で、昨夏から施設のご厄介になっているが、昨日がちょうど母の日で、それもあって仕事の後で会いに行き、食事の介助をし、ベッドに寝かせてしばらく話をした。

施設から帰る時、それはいつものことだが、車に乗ってエンジンをかけるまでに、いつもより必ず10秒余計に要する。母が不憫なのだ。どうにか家に引き取れないかと考える。それができない十の理由が頭に浮かぶ。「無理だ、こうして会いに来るのがやっとだ」そう結論付け、踏ん切りをつけて、キーを回す。その間約10秒。

私ももう若くなく、それなりに経験を積んできて、一瞬兆した考えに精神のバランスを崩されることはないが、それでも、そうした悔恨とか無念さが、積もり積もって、精神衛生上好ましくないことは疑いの余地がない。最近やけに白髪がめだちはじめたのも、それと無縁ではないはずだ。

仮に私が億万長者であれば、家全体をバリアフリーにして、寝室をひろげ、介護用の多機能ベッドを置き、介護士の方にも来ていただいて、母も、脳がじわじわ委縮すること以外は、これまでと変わらず、家族の一員として暮らすことができるだろう。そうなったらなったでまた別の問題が生じるのかもしれないが、少なくとも私も、介護老人保健施設の駐車場で、やたら重いイグニッションキーと格闘する必要はなくなるのだ……。

ん? 脳の萎縮……なんの話だ。

そう、レディオヘッドに話を戻そう。

彼らは、ポップスターになる夢を選び、それをかなえた。その道を選んだ以上、その道で生きるしかない。億万長者のポップスターとして曲を作り、アルバムを作り続けるしかないのである。

願いや悩みの大半がかなえられ解決された中で、それでも彼らが何を願い、何に悩むのか、私はそれを聴きたい。


"2+2=5" by Radiohead (Glastonbury 2003)

もちろんレディオヘッドというバンドがこれで終わるはずもなく、彼らはさっそく次作で新境地を、余裕しゃくしゃくの名盤を産み出してみせるのだ。

が、それはまた次の機会に……。